ボイスドラマ制作サークル「Midnight Bloom」によるボイスドラマ『キネマは月を映さない』を聴取しました。
このサークルさんとはこれまで特に交流はなかったのですが、過去作や本作に私がいつもお世話になっている活動者様が何名か関わっているのと、Luna Novaの月宮さんが運営するオーディオドラマクリエイターが集うクローズドなDiscordサーバーがあり、私も加入しているのですが、そこに代表の白蓮様も加入しており本作を宣伝していらっしゃったこと、そして前回記事の作品と同じくYouTube上で1万回再生を突破していることから、興味を惹かれて聴取、感想を書くこととしました。
タイトルにある通りネタバレありです。未聴取の方は以下より聴取ください。
あらすじ
『キネマは月を映さない』公式サイトより
令和のカリスマモデル・野々宮椿。
雑誌やドラマ、CMなど、多忙な日々を送りながら、
彼女は次第に「自分が何者なのか」を見失いかけていた。
――ある皆既月食の夜。
ドラマの撮影で訪れたテレビ局の倉庫で、椿は古びた映写機を見つける。
赤銅色の月光を浴びた瞬間、それはひとりでに動き出し…気が付けば、椿は大正11年の銀座通りにタイムスリップしていた。
路面電車が行き交い、和洋折衷の建物が並ぶ華やかな街並み。
ざわめきの中、ピアノの音色に誘われて辿り着いたのは、ハイカラな内装と酒と生演奏が楽しめる社交場「ジャズ倶楽部・ルージュ」。そこで彼女は、若き天才ピアニスト・沢田 泪、妖艶で自由奔放な倶楽部の主人・マリィ、そして、駆け出しの小説家・東条 澄人と出会う。
彼らと過ごす日々は、椿に「この時代に残りたい」と願わせるほど、大切なものとなっていく。
帰りたい。――でも、帰りたくない。
二つの時代が再び交わる夜、椿が見つける答えとは――。
とあるジャンルとの類似性
大正時代にタイムリープするというSF的な要素はあるものの、普段の自分とは遠い世界で暮らす人々と交流を重ね、彼らの生き様を見て自分を見つめ直すという、成長物語としては王道な構成となっています。
令和のカリスマモデル、LGBTの要素を持つ倶楽部の主人、父親と確執がある天才ピアニスト、アイディアを求めて倶楽部に通う駆け出しの小説家と、メインキャラクターはいずれもかなり濃いのですが、それぞれが食い合うことなく、全体としてはバランスが保たれています。人物の数も少なめに抑えられていますし、彼らが「ルージュ」の成り立ちや在り方と密接に関わっており、描写の順番も自然で情報の出しどころと出し具合の匙加減がちょうどよく設定されている脚本力はもちろんですが、キャラクター本人が喋っているとしか思えないお芝居も大いに手伝っていると思います。泪とマリィに関しては、「過去の過去」である回想パートと、「ルージュ」時代での彼らの違いは聴きごたえがありました。
特にマリィについては、大正時代、まだLGBTに関する考え方が進んでいない頃、彼女がどんな青春時代を過ごしたのかを想像するだけでも恐ろしいのですが、それを直接的に描くことなく、キャストのNegu氏のお芝居に委ねることでそれを間接的に表現するということに成功しているのが見事でした。
主人公である椿も決して薄味な設定ではないのですが、椿が大正時代に滞在する時間が本編の大半を占めているということもあり、現代人である主人公よりも、彼女がタイムリープ先で出会う現地の人々のほうが主題だと感じます。主人公は異世界に迷い込んだカメラ・アイであり、現代人である我々が物語に入っていきやすくするための狂言回し的な役割も持ち合わせています。彼女の視点から様々な魅力的な登場人物が描かれ、時には彼女のほうから働きかけ、イベントやアクションを引き起こす。……この構図、あるジャンルに似ていると思います。それは乙女ゲームです。
大正時代という異世界に迷い込んだ女性主人公、ほどよい行動力と発言力があり様々な人物から好かれやすい「人たらし」的な性質を持っている、芸能界にいるとはいえど共感しやすい一般的な感性を持ち、絶妙に嫌味が無いように計算されたキャラクター造形。……聴いている途中で「これ、乙女ゲームだ!」と気づいてからは、聴けば聴くほどそうとしか思えなくなりました。もちろん、主人公が作中で彼らのうちの誰か一人を「攻略」するなんてことはありませんが(泪くんとは若干のフラグの匂わせはありましたが)、全体の雰囲気としては類似していると感じました。
このような椿のキャラクター造形は、オーディオドラマとは相性がいいです。彼女のような役割が主人公に設定されていることで、視覚情報がない分、物語のスムーズな理解を助けることができる。これまで、私を含む様々なオーディオドラマ作家が、意図するにせよしないにせよ、こういったエッセンスを取り入れてきたと思うのですが、こうして言語化するきっかけになったのはこの作品です。思わぬ角度からの学びがありました。
因果のループにまつわる思想
タイムリープのメカニズムに関しては、本編内で明かされることはありません。作品の中盤に差し掛かる頃には、「きっとそのことについては触れられないだろう」という察しはついていました。この物語において、その部分は大した問題ではないからです。実際にタイムリープが起きていたのではなく、夢を見ていたとか、椿の先祖が経験したことを追体験していたとか、あれこれ解釈はできるのですが、ここは一旦素直に「実際にタイムリープが発生した」と仮定し、本項での話を進めます。
この作品では、タイムリープ先で行動した結果、タイムパラドックスが起きて並行世界が発生するのではなく、どこまでも世界は一つであり、因果のループが起きるという説を採用しているようです。椿がタイムリープをする前から、『キネマは月を映さない』の主人公が椿に似ているという描写がありますから、どうやら東条が「タイムリープをしてきた椿をモデルにした」という事実はタイムリープの以前/以後で不変のようです。つまり、椿がタイムリープをすることが元から運命に組み込まれているということです。
これは、「自由意志が存在しない」としてネガティブに捉えることもできます。しかし、椿はタイムリープをした結果とその出会いに「意味」を見出している。これ、個人的には結構好きです。「全てが決まっているとしても、意味を見出すのは自分自身である」という考え方ですね。拙作『グレート・オッド・ワン』や『夢見月の終着点』でも同じような事柄を取り扱っているので(後者は増えすぎた並行世界が一つに収束される話なので、因果のループとは違いますが)、このあたりは私も常日頃から興味深く思っているテーマです。
双眸に映る景色は、映画のスクリーンのようなものだと考えてみればどうでしょう?
例えば勧善懲悪の物語を観ている時、結末はなんとなく想像がつきますが、それだけで「つまらない」とはならないでしょう。人生もそれと同じです。「死」という結末は決まっていても、その過程からは様々なものを受け取ることができます。……もちろん、映画を観ているだけでは感じ得ない刺激も現実にはあるのですが。いずれにしても、「鑑賞したものに意味を見出すことができる」というのは、我々「観客」に与えられた特権なのです。
最後に
創作のプロセスには様々な手法がありますが、私は原則としてキャラクター至上主義で作っています。アイディアが浮かび、コンセプトや設定が固まったら、そこから先はその物語に登場するキャラクターをとにかく作り込む(大抵は主人公から作ります)。出来上がったキャラクターがこの世界で動くとしたら、こんな話になるんじゃないか?と考えた結果、物語が生まれる、と。
Midnight Bloomがどういうプロセスで作っているかは分かりませんが、とてもキャラクターを大事にしているサークルさんだと感じました。そういった側面については私のスタンスに近いところがあります。今後の展開や過去の作品についても、機会があれば感想を書いていきます。